もとぶ八重岳で黒糖を作るおじいさん。
サトウキビから育て、桜まつりの時期に黒糖を手作りしています。
この方とご家族の皆様がいなければ、しゃぶ匡は生まれませんでした。
今日は、しゃぶ匡ができる前の食堂宿、「やまご屋」オーナーの一周忌。
おじいさんの奥様がオーナーを紹介してくださり、一年半ほど前に「ここでお店をやってみようか」となったのです。
やまご屋も「家族に乾杯」で鶴瓶師匠に紹介されるようなことも以前はあった、とオーナーが話されていたことが懐かしく思い出されます。しかし、お店がスタートしてから半年ほどで旅立たれてしまいました。何のお返しも出来ないまま、ちゃんと店がやっていけるかどうか御心配をおかけしたまま、あっという間のことでした。ご自身のことで大変な思いをされている中、ずいぶんとお心遣いくださりました。また日頃より、ご親族の皆様にもお心遣いを頂いております。
訪れてくださる方のために、心を込めて、おもてなしすること。
気取らず、自分ができることを好きなようにやること。
しゃぶ匡の山小屋のような雰囲気と、おもてなしスタイルは、「やまご屋」の志を引き継いでのことです。お店の経営者としては、いまだにご心配をおかけしているものと思いますが、きっと、笑って見守ってくださっているものと思っております。
このような時期だからこそ、しみじみと、胸にも腹にも、足先にも手先にも、「一人では何もできないなぁ」という思いが身体の隅々まで染み渡ります。家族がいなければ何もなせなかったろうし、地元の人々がいなければ生活もままならないし、過去にがんばってくださった方がいなければ今を支えているものがなくなってしまいます。独り立ちといっても、決して孤独なものでもなく、何でも独りでやっていけるわけでもありません。誰かの手助けを受けながら、どこかでがんばってくださっている方々の築くなにかをお借りしながら、自分も誰かのためにやっていくもの。そういうもの、それが「社会」と呼ばれるものなのでしょう。
一人の人間という個を保ちながら、同時に、他者と繋がり、互いに影響を与え合う。社会から逃れようとあがいてみても、他人から何かしら影響を受けるしかないものだとするならば、それが素敵なものだと思えるものであったらいいな。自分が誰かに与える影響が、より素敵な影響であったらいいな。そうであれるような、自分であれたらいいな。いつの日か、心から、素敵な日々だったと、そう思える日々を。
素敵な人生の先輩たちを見習いながら、想いを同じくする仲間を築きながら、過ごしていきたいと思います。