花筏

時々、思い出したように俳句や短歌を作ります。
わずかな言葉で風景や音色、情景などの心情を表現しようとすると、かえって想像力がふくらみ、まるで言葉に色や音があるかのように感じられます。

デザインやライティングを請け負うことも多いもので、いつでもクリエイティブな言葉が浮かぶよう、無意識にトレーニングしているのかもしれません。

現代では、日常の場で古典的表現を用いる機会がほぼありません。せめて、このような場ではパブリックな表現の場として、丁寧な日本語を使うトレーニングができればと考えています。


さて、散った花びらが水面に浮かぶ様を「花筏(はないかだ)」と呼びます。
今では美しい言葉として人々に好まれ用いられていますが、そう古い言葉ではないようです。前に住んでいた琉球古民家には小さな池があり、その上で咲く寒緋桜によって、池には自然に桜の花筏ができておりました。今日は、それに纏わる俳句と短歌をいくつか作ってみました。

俳句は、短い言葉で場面場面の瞬間を切り取る言葉のカメラのようなもの。客観的に、心の中に景色や音、情景が浮かべばそれでよしとします。短歌は少し説明的になりますから、その時の主観的な心情が伝えられればと思います。


苔水に はしる鯉の音 花筏

琉球古民家には公営水道が通っておらず、当時は山の湧き水を生活用水として暮らしておりました。庭には小さな池があり、まわりには水苔が生しておりました。苔から滴る湧き水は、とても清らかに感じられます。池のそばには大きな寒緋桜があり、季節になると、水面は桜花でいっぱいになります。そこを、ぽしゃんっと音を立てて、元気よく鯉が泳いでいます。鯉たちも花筏に興じているのでしょうか。

今はただ 苔生しにけり わが庵は 桜花そよがす うりずんの風

時がたち、今はもう私の住まいは苔むしてしまいました。
目をうつすと、心地よい春の風が水面の桜花をそよがしている。

苔筵 青き若夏 風そよぐ 鯉はうるはし 見つつ偲はゆ

かつて暮らした庵、今はもうどこまでも苔が一面に生えている。こういう様を苔筵(こけむしろ)と呼びます。
新緑が青々としており、初夏の風がそよぐ。
仲睦まじい鯉たちをみていると、過ごした日々が自然に思い出されます。


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